やがみあん雑記

はろー。元気ですか

老害チーム結成と解散のx日間

プロコンの予選通過が発表されましたね。
ほんとはそれが来る前に書き終えたかった。
しかも5月1記事もかいてないので当ブログが初めて1ヶ月1記事更新を破りました。

随分前に、今年のプロコンは応募しないと決めた。
何故なら、チームが解散したから。

それから様々なことが起こったが、一連の流れにつながる引鉄を引いたのは間違いなく自分なので、僕はこれを書かなくてはいけないと思った。自分なりのけじめの付け方である。

※これから出てくる登場人物やその他一切の人間を貶めたり傷つけるような意図はありません。

登場人物

上に述べたように個人を中傷するつもりは無いので、今回は仮名で書く。

リーダーA
プロコン経験アリ(課題)。ICT委員会の活動からは2年ほど離れていた。
リーダーをやりたくて戻ってきた。

メンバーB
2~3年目までPCKメインだったが去年プロコン初参加(課題)。
リーダー経験豊富、緩衝材。
メンバーC
プロコン経験アリ(競技)。PCKなど別の大会経験もあり。
技術屋要因を予想されていた。

ぼく
プロコン自由部門一筋4年生活をしていた。
正直なにもできないダメ高専生。

発足

去年のプロコンが終わってから大分経ってからだか正確な時期は忘れたが、とにかくそのくらいのときに、ICT委員会老害チーム結成の話が持ち上がった。
首謀者であるリーダーAが、高専生活最後の思い出として、ということで、メンバーB、C、そして僕に声をかけた。
メンバーBは去年までPCK、プロコンとずっと同一メンバーのチームでリーダーを担当していた経験を持つ。
しかし今年はメンバーのうち二人が受験、もうひとりは大会参加の意思がないため、最初はプロコンには出ないつもりだったらしい。
だが、

  • ずっと同じチームで開発してきたので、別のチームで大会に参加してみたい

  • これまで毎年大会に出ていたため、最後までやろうという惰性

  • 自分が力になれるというのなら協力する
    という3点から参加を決めた。

メンバーCの方は単純にプロコンに出たいという思い出参加したらしい。

そして、僕はと言うと、最後まで参加を渋っていた。
理由は大きいものが2つある。
まず前年度のプロコンにあまりいい思い出がなかったこと。
そしてもう一つは、リーダーAに対してリーダーとしての信頼を置いていなかった、ということ。

一つ目、前年度のプロコン。
僕が最早開発最中のことなど思い出したくもなくなっていることに気づいたときは、心底つらかった。
多分去年からその兆候はあったと思うんだけど、気がついたら僕はプロコンの目的を「みんなで開発することが楽しくてやってる」から、「何が何でも賞を取らなきゃいけない」にシフトさせてしまっていた。
賞を取って居場所を確保しなくちゃいけない。
そんなことを思いながらやってて、だから自分だけどんどん余裕がなくなってきて、企業賞をとることはできたけどなんで特別賞以上じゃないんだって誰かに責められてる気がして全然浮かばれなくて、結局自分という人間が如何に何の役にも立たない人間かを思い知らされて、結局そういうところは3月の大会とかでも消えなくて、活動の全てにおいて楽しさがどんどん消えていっていた。

もう一つ、リーダーへの不信任。
リーダーAのことは、僕が勝手に友人だと思ってるしなんどもお世話になっている。でもそれとこれとは話が別。
リーダーとして、一緒に仕事ができるかどうかと言われると、すぐに首を振れなかった。
何故なら、リーダーAはICT委員会を離れて2年ほどのブランクがあり、そこから割りと唐突に戻ってきた、そしてリーダーをやりたいと言い出したのだ。ここまでずっとプロコンに取り組んでおり、かつ去年度で半リーダーのようなことをやって非常にしんどかったので、背中を預けることが出来ると言えなかった。

だけど、最後の年に何もしないというのは自分が堕落していくだけではないのか、とか。
折角だから5年全部やってみよう、とか。
誘ってくれてるのを断るのも悪い、とか(実際僕が断ったら他の同期メンバーは全滅なので完全な老害チームにはならない訳だし)。

色々考えた挙句、一つお願いをした。
リーダーAだけにリーダーをさせるのではなく、メンバーBにサポートを頼みたい、と。
その条件をつけて、プロコンに参加することにした。

やるからには迷惑かけないようにしないとなぁ、と思いながらも、プロコン老害組はスタートした。

プロコンに対しての取り組み

早速プロコンに向けての活動が開始される。
活動するにあたってルールをちゃんと定めた。
イデア出しの時間は決めて、この時間内で出ても出なくてもやめるようにする、とか。
話し合った内容は全て文書化する、とか。

あと、メンバーの性質上4人で集まれることが多くないため、不在メンバーがいてもいるメンバーだけでアイデア出しをやったり、
不在メンバーにはあとでちゃんと文書化したものを共有したり。

初めての取り組みとしては、屋外でアイデア出しを決行した。
かなりデカイショッピングモールにメンバー全員で乗り込んで、組み合わせたら面白そうなものとか使えそうなものとか色々探し回った。
これは時間と足があったら一度はやってもいいと思う。
何日もホワイトボードの前に座ってウンウン唸ってると気が滅入ってくるので、気分転換も兼ねてやるとよさがある。
ちなみに屋外アイデア出しで出たアイデアは最後の方まで残ったし、他にもヒントは出た。
そして僕はインフルエンザ(に気づかないまま)で足はガクガクで痛いし頭は重いしでフラフラしながらショッピングモールを右往左往した。
この件に関してはめっちゃ迷惑かけた。

とまあ、僕達のアイデア出しに関しては、正直うまく行っていた方なのだ。

崩壊の兆し

では何故、このチームは成り立たなくなってしまったんだろうか。

まずひとつ、チーム内での水面下不和。
前述の通り、老害チームはそれぞれのスケジュールの都合で全員集まれることが少なかった。
誰かが居なくても残りのメンバーでアイデア出しなり何なりをやるのだが、あまりよろしくないが生まれることがある。
例えば、リーダーAとメンバーCのみが集まっている場合。
メンバーCはチームの中で一番技術力のある人間だが、その立場上出たアイデアに対してぶつける言葉はまず否定から入る。
潜在的な不安要素を潰していく作業だと思われるが、リーダーAにはそれが「アイデアに片っ端からケチをつけてる」ように見えることもあるらしい。
そうなるとメンバー次第ではアイデア出しも消極的になり、企画書を書けるようなアイデアは出ない。
僕も正直なところ、メンバーCのみがいる状態でアイデア出しをしたいと思ったことはなかった(ごめん。でも本人を前にして言ったこともある)。 この事は一応メンバーBがいることで彼が緩衝材となり、二人を取り持つことが多かった。
リーダーからはBのおかげでメンバーのバランスは良かったんじゃないかと聞いたが、僕の意見としては精神的負担をBのみにかけることで保たれるバランスは良かったとは言えないんじゃないかなぁ……と思っている。
僕もアイデア出しのときの立場は、正直貢献できるような存在じゃなかったと思っているし。

それから、新年度が始まったときに、リーダーからメンバーへの連絡回数が明らかに減った。
原因はリーダーが忙しくなってしまったことにあり、プロコンメンバーへ割く余裕がなくなってしまったため。
こちらも受け身であることが多かったせいで、MTGなどの連絡は直前、というパターンが多くなった。
(連絡を待つ→僕あたりがしびれを切らして「今日はいつやるの?」と訊く→予定が決まる)
それも、おそらくメンバーの士気を低下させた原因だと思う。

……ここまで、あたかも第三者の視点を装って客観的に書くように努めたが、自分の話をしよう。

元から、あまり乗り気とは言えない(少なくともやることが当たり前だと思っていた去年までとは)状況から始めた今年のプロコンは、次第に不安が大きくなっていった。

それは、アイデアが出ては消え去り固まらないことからの不安。 せっかく企画書を書きかけたアイデアが消えてしまう。
前のアイデアに戻したけどどうしよう、あまり目立たないかもしれない。

ていうか、仮に企画書を完成させたところで、この苦しみは終わるのか?
否、もし万が一にでも予選に通れば10月までずっと続く。企画書より大変な開発が。
10期老害組は誰も車を持っていないし4人中3名は寮生だからクソみたいな門限や規則に拘束されるし夏休みに集まれる場所はないし
じゃあどうやって開発するんだ? 今も集まりが悪いくらいなのに?

もう、僕はプロコンに対して「楽しいからやる」「自分がやりたいからやる」という気持ちを完全に失っていた。
確実に、自分のためにやっていることではなくなっていた。
やりたくない気持ちをかき消そうとして、惰性と、せめて迷惑をかけまいとする意志だけで必死に気持ちを繋ぎ止めてきたが、それも徐々に限界が来て、一本一本、続ける気持ちの糸が切れていった。

チーム、円満離婚

それでもなんとか、みんなそれぞれの思いを隠したまま作業を続けていた。
だけど、特に僕は、人一倍、意気地なしなので、いつ「やめたい」なんて言い出すのかは時間の問題だった。

それである日、リーダーに意を決して伝えた。
言う直前まで目が泳ぎまくってた。めちゃくちゃしどろもどろになった。言い始めたら頑張って言えた。
告白とかしたことないんだけど、たぶんこういう気持ちだと思う。

リーダーは、「ちゃんと言ってくれてありがとう」って言ってくれた。

そして、衝撃の事実が発覚する。

リーダーも、やめたい意志があったらしい。

そんでもってメンバーを集めて話をした。
またもや、事実発覚。
メンバー4人中3名、プロコンをやりたくない意志があった。

オイオイオイ 死ぬわチーム

……正直、企画書を書き終える前に言ってよかった気がした。

このブログを書くために3人に話を聞いた(テキストで送ってもらった)けど、
それを読んでもやめたい意志のある3人(自分+2名)とそうじゃない1人とで心構えが180°くらい食い違っていたので、これはどう考えても続けるほうが悪手なんじゃないかと思った。
(おそらくその1人の言動で他の3人が精神的にきつくなりそうだなって、妄想だけど)

こうして、チーム老害は結成からx日を迎えて、円満離婚を迎えたのでした。

おわりに

やりたくないことは、自分を騙そうとしてまでやるものじゃないんだなあと思いました。
やりたくないことに分類されていること自体が、本当にショックなんですけどね。

でも、追われるものがなくなって、楽になった。

なにもない日々をほんとうに久しぶりに、楽しんだ。

だけど、少し楽しみすぎてしまった気もする。

このブログの最後(今の章)を書く時にちょうど、なっちゃん先輩が5年生のときの、同じ状況のブログを読んだ。

とりあえず、わたしはプロコンに向き合うほどの体力と精神力がなかったんだと思う。結局「プロコン優勝したいー」とかいう口だけだった気がする。

高専プロコン自由部門に落ちた話。 - なっちゃんのめもがき。

やりたいって言ったなっちゃん先輩でも、「プロコンに向き合う体力と精神力がなかった」と思っていた。
じゃあ自分には、もっとそのようなものは存在していなかったんだなぁ。
そりゃあできるわけないよなぁと、なんだか納得してしまった。

それでもなっちゃん先輩は、前向きに、次に何をしようか考えていた。

終わったんじゃなくて、ここからがんばればなんかいいことあるんだっていうチャンスだって考えます。

高専プロコン自由部門に落ちた話。 - なっちゃんのめもがき。

だから、そろそろ自分も何をしようか考えなくちゃいけない。

僕にとっての学生としての時間は、実はもう半年くらいしかない。
その間にしか出来ないことって何だろうなあって考えながら、プロコンに参加していたときと変わらない行動力を持って最後の時間を過ごしたい(なんか死ぬみたいだなこの文章)。

先輩へ
僕がプロコンやめたいって言ってたときややめた後に関して相談に乗ってくれたりアドバイスくれたりありがとうございました。

きょーじゅへ
やりますって言っちゃったものを撤回してしまい申し訳ありません。
とりあえず早く卒研どうにかします。

後輩へ
時間出来たのでこき使ってください。

チーム老害

こんなヤツを誘ってくれてありがとう。
やめたいって言ったことに当初はやっぱりう~んって思ってたけど言い出してくれて・決断してくれてありがとうって思ってくれたので後悔はしてないです。
このまま続けてたら絶対よろしくない形で破綻してたと思うので、円満離婚というのは言い得て妙だと思いました。
チームは解散しても老害チーム、いやICT-10期の関係性は末永く続けていけたらいいね。

さいごのさいごに

けじめをつけようと思って書き始めたこの記事が、書き上がるまでに相当の時間を要してしまった。
頑張って客観的視点を維持しようと思ったし、そのためにメンバーに話も聞いたけど、
記事執筆の終盤には、割りと精神が摩耗してしまい私怨が入り混じりそうになった。
もうほんとに色々ごめんなさい。

あんまり長く続けるのも良くないから、これで終わりにしよう。
ちゃんと自分のやりたいことを、後悔しないようにできる生活を送りたいです。